書かれた事は大変勉強になりました。知らなかったので、これからの参考にさせていただきたいと思います。
: 青年会議所からの発案を「住民主導」と見るかどうかはさておき、少なくとも町が
: 補助金目当てで一方的にサッカーによるまちおこしを押し付けたとはいえないでしょう。
: また、「ワールドカップでの合宿地」に立候補していますが、更に多額の金が必要と
: なるこの構想には栗山でも議論になっていますし、裏を返せば、そういう地元の参加
: 姿勢が現状には反映されていると取れるのでは?
: 「何もやる事がなかった」のかもしれませんけれど、だったら永久に何もしなくても
: いいということにはならないでしょうし、「サッカーをやろう」という発案をもって
: 自腹を切らずに町にはたらきかけることも「乞食」ということでしょうか。
「乞食」ですか?なんで乞食なんだろ?
先日、セルジオ越後さんの講演に行って来ましたが、結局「クラブ」という言葉の定義に話が向かいました。まぁもともとそれが話の主題だったんですが。
その話の中で出てきたものに、「日本人のクラブへの、というのかスポーツへの海外との認識の違い」というのが話題に上りました。ゴルフには2〜3時間(1ラウンド)に数万円支払うのに、サッカーのグラウンドを1試合分(約一万円)借りるのを「高い」と言う、というような。
セルジオさんの言うには、「人が集まったらすなわちそこがクラブ」なんだと。そして「クラブと言うものは、そこに集まった人たちがお金を持ちよって運営して行くものなんだ」ということですね。これって今の日本の現状、特にコンサの公金導入論争に対しての大切なテーゼなんじゃないかと思うんですが。
確かに、栗山の練習場って商工会議所が提議して作ったものみたいですねぇ。でもね、以前書いたようにラグビーW杯の時、僕の知り合いが目にしたウェールズの子供達がヒマな時にみんなでH型ポールの下で楕円のボールを追いかけるそういう風景が果たしてあるのかってことね。ただ実業団に使わせるためにグラウンドを作ったってダメなの。作るには実業団のお金じゃなくて住んでる人の税金を使ってるんだからね。「これからそういう風景を作っていこう」じゃダメなの。それって今までの公共事業の受注の姿勢と何ら変わらないから。
そこに住んでる人達がものすごくスポーツに熱心で、練習するグラウンドが足りないってんで商工会議所を動かす、または商工会議所が彼らの意見を汲むって感じになってかないとね。それでないと自腹を切らずに町に働きかけることは「乞食」でしょうね。必要ないんだもん。
何度も書きますけど、スポーツそのものが町興しとかにはならないですよ。あなたが書かれるように「サッカーをやろうという発案」じゃダメなんだよね。その地に「サッカーが既にないと」ね。
: 以上の知識をAkiさんがお持ちであったかどうか、そこが今後の議論において
: ポイントとなるように思いましたので老婆心ながら。
いいえ、貴重な情報ありがとうございました。