サポーター集会の中で濱田常務よりチーム設立からの総括と決意そして今年のチーム作り
についてのコメントがありましたので、ここで詳細にお伝えします。
濱田常務は「札幌にJリーグチームを」という活動(SJクラブ)から、東芝との移転
交渉、チーム補強・運営、外人選手獲得などに係わってきた人物です。
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<サポーター集会テープ録音より> Vol.1>p>
まず、皆さんにお詫びしたい。皆さんの熱い応援にもかかわらず結果を出せなかったと
いうことは、チーム・フロントとも申し訳なく思っている。去年の結果を踏まえてどうす
るか、責任問題は?についてはこの後の質疑応答で話したい。(注:質疑応答では今年
結果が出なければ辞めるとのコメントがあった。)
せっかくこういう場を用意していただいたので、私はチーム設立から責任ある立場に
立ってきたので、5年目に入るクラブの原点にもう一度立ち返った話をしたい。
コンサドーレは何も無いところに東芝サッカー部を移転させてきた。この意味は、東芝
サッカー部が組織ごと来たわけではなかった。ストレートに言うとJFLのチームの権利
を札幌に持ってきたのが実態だった。社員・プロの選手との契約などの条件があったが、
その東芝の移転交渉を私がしていた。
96年にクラブとしてスタートはしたが、強化・育成、つまり将来を見据えたチーム
作りが一番大事と私もフロント全員も認識していたが、言い訳に聞こえるかもしれない
が、その時点でのフロント全員がスポンサーからの出向なり、スポンサーの社長との兼務
という素人集団で出発したというのが事実であり、明確な将来の方針、チーム強化の根幹
を理解している者がいなかった。そういう判断はその時点での監督の考え・方針を中心と
する方法を取ったのが実態だった。我々フロントもたぶんサポーターの皆さんもJリーグ
に上がることが最大の目的だった。そして赤字の原因は人件費と北国としてのマイナス
要素、それは予め分かっていたが、これも大きかった。
当初は札幌にプロチームができるのかと回りから言われていた中で、是非とも作りたい
ということが私だけでなく皆さんの、そしてチーム設立プロジェクトに参画してくれた
ボランティアのメンバーの共通した認識であった。そしてその時考えていたことは、J
リーグに最後に手をあげて行く札幌だから、一番賢い方法でやっていきたい。札幌ならで
はというやりかたがあったら、是非ともやりたいと思った。ただ、どうやってやっていく
かということに関してプロチームを運営していくプロがいなかったことも事実だった。
やりながら考えるしかなかった。
(Vol.2に続く)