なんか、論文じみてきたな・・・。
これは、なんで行政が民間での事業(株式会社)に出資する等、
関与を認められるのかということの私見です。
いうまでもなく、昔習った行政論の歴史では、視点が夜警国家論
(消防署と警察、軍隊だけあればいい)の安全保障から福祉国家論
(弱者救済、社会的公平)社会保障に発展・・・。
現代はどうか。
実はもしかすると「物作りは美徳」ではなく「物作りはゴミづくり」と
その弊害がでている時代ではないか、日本において・・・。
もの不足に苦しんだ今の経済界の重鎮には理解不能か。
娯楽はビジネスではない?アメリカの映画産業はビジネスでは
ないのか?旅行産業はビジネスではないのか?
サッカーは放送媒体にとって重要なコンテンツにならないのか?
モノをつくらないビジネスだが、感動をつくるビジネス。
(うーん、ちょっと恥ずかしい)。
そこで前回の続き。(前振り長いね)
「後進性」は、今後進むべき方向に理解がない(理解したくない)、
人がない、ノウハウがない、ナイナイ尽くしからのスタートしなければ
ならないということである。だからコストがかかる。
「必要性」は、需要があることと同意語ではない。与えられて気付く
ものもある。コンサは関係者の努力もあり、観客も年々増加している。
しかも全く新しい企業存在でもある。
そして製造業ではないのでゴミをださない
(グランドにモノは投げないでね^^:)。
ついでにあと2年で世界のサッカーのスーパースター、サポーターの
応援をこの北海道で観る事ができるときに、道民がそのことの幸運を
スゴサを理解できなかったとしたら・・・。
緊急性も社会情勢も今そこにある。
その(3)に続く・・つもりだったけど、おしまい。