: : 「いい加減な運営」に代わるものとして「理念を規定しそれに則った運営」が必要で
: : はないか、というのが元投稿の主旨です。
: : しかし、どうやってその状態に持っていくかという「現実的」かつ「具体的」な方策
: : までは考えていません。
私はコンサドーレ札幌誕生の前後(1995〜1996年頃)は仙台に住んでいましたのでチーム創立の経緯についてはリアルタイムではよく知らないのですが、そもそもJリーグブームにわく中で未だプロスポーツチームが存在せず取り残された北海道民の願いが東芝を動かして札幌移転に成功しコンサドーレ札幌が誕生したと認識しております。つまりコンサドーレは誕生当初からサポーター主導で動いており運営会社(HFC)はそれに引っ張られる形で今まで動いてきていると思います。ですからある意味で「いい加減な運営」になってしまっていたのもある意味しかたないかなという気持ちもあります。なんといってもサポの大多数の願いは「J1のコンサを見たい」でしょうから、そのためにはある程度のチーム運営費がかかるのも事実です。
: : ただ、理念や活動方針の事例ならサンフレッチェ広島のがとても良く考えられている
: : (ように見える)ので一見の価値があります。
: : http://www.sanfrecce.co.jp/index2.html
:
: 見ました・・!。すごいですね。実は広島では、野球の広島カープの
: 存在が大きい事が以前広島人と付き合った際、強く感じました。
: 確か、企業名「東洋カープ」を冠したチームが撤退する事を発表した
: 時、市民が存続の署名活動をして、自治体が出資か、株を引き受け
: たか?したと記憶してます。
: 当時企業スポーツしかなかったプロ野球に地方自治体が運営する
: という前代未聞の快挙(暴挙?)が話題でした。
「広島東洋カープ」はチーム創設(1950年)からしばらくは「広島カープ」という名前で真の意味での市民チームでした。しかし当時はセリーグといえども現在の様に全チームが黒字経営ではなく「広島カープ」も選手の給料遅配は当たり前で見かねた広島市民による球場前での樽募金までおこなわれる始末でした。そこで経営難を脱するために当時「東洋工業」と名乗っていたマツダが中心となって新たな運営会社を設立し、それとともにチーム名を現在の「広島東洋カープ」に改名しました。そういう経緯があるのでマスコミも「広島東洋カープ」の略称を「福岡ダイエーホークス」をダイエーとよぶように東洋とはよばず広島とよんでいます。
: 当時(といっても20年以上前ですが)、Aクラスに入ると3億円が
: リーグから入るため、貧乏なチームで絶対に3位ことが至上命令
: だったという記事が印象に残ってました。(だから、消化試合がない)
これは知りませんでしたが消化試合は最近は平気でしているように感じます。チーム創設時の苦労を知る人がチームの中に少なくなったせいでしょうが。
: サンフレッチェにもその土地柄が現れているようですね。
前記したように土地柄というよりはマツダを筆頭とした広島県の企業としての姿勢が優れていると私は思います。そうしたバックボーンがあるからこそサンフレッチェ広島の優れた理念や活動方針ができたように思います。全くのゼロから始めるのとそこになにがしかの下地があるのとでは大きな違いがありますから。
: 少なくとも、サポが税金を入れてもコンサを存続させろと、
: 署名活動までしたんですよね。もし、コンサがこれで万が一潰れたら
: その税金投入を主張した我々(少なくとも自分は)その責任を
: とらないといけないんですよ。
: フロントや、行政に物申す以上、サポはその責任をどうとったら
: いいんでしょうか・・・。
それに関してはコンササポはどうすれば良いかなどと言うことは私には言えません。サポと言っても少なくとも成人は独立した個人ですから責任は一人一人が自分の負える範囲内で考えてとれば良いと考えます。話はかわりますが北海道新幹線の誘致を叫んでいる人達はJR北海道が潰れた時には責任をとる考えはあるのでしょうか?