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: : そうやって、牛歩かもしれないけれど、底辺を広げる活動をキタラはやってますけど。
: だったらいいじゃないですか。でも必ずしもキタラが必要ではないでしょう。何十年と裾野を広げる活動をやっていようと、肝心の裾野が広がらなければ、それは支持されていないと一緒でしょう。何十億(もっとかな)と血税を使ってやる活動ならもっと有効な事をして欲しいものです。
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: : ”知らないけど”とおっしゃるなら不用意に発言して頂きたくありません。
: : 憶測でいろいろおっしゃっても、何にもなりません。
: : いくら海外の例を出されても、私達の街の話ではありません。
: : 私達の街なりの成長を遂げれば良いのであって、それは、一朝一夕になされるものでは
: : ありません。
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: その通り、一朝一夕に成されるものではありませんね。だから、草の根でやっていこうと言ってるんです。音が悪いと言っても、厚生年金ぐらいのホールがある町ってのは海外でもそうはないんですよ。僕が以前から書いている、公金投入の優先順位って言う意味を
: 良く読んでいただきたいものです。
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: : :支えていく住民の土壌がない、言い方を変えれば、クラシックの何たるかを良く分かってない人達に、
: : とおっしゃいますが、前述しましたように、裾野を広げるためにキタラとしてはいろいろと活動を
: : しているわけです。
: : ちなみに、キタラは豪華絢爛なコンサートホールではありません。
: : 木のぬくもりが感じられる、親しみやすいコンサートホールです。
: : 保育室は完備されていますが、大人しく聴けるようになった子供たちもたくさん来ています。
: : 市民にも開放され、月に数回は高校やアマチュアの音楽会が開かれています。
: : あまりにも札幌にそういうものが無かった為に、豪華に見えるだけだと思います。
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: 親しみやすかろうがなかろうが、そこには血税が入っているって事を忘れずに。ああ、なんで音楽の振興に一々ハコモノが必要なんだろう。もっと他にやるべき行動ってあるはずでしょ。裾野って、ホール作ってそこでプロに演奏させれば広がっていくんだろうか。その発想って僕が考えてることと違うんで。それは今までのやり方でしょ。
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: : 何事も個人の楽しみ、娯楽から始まるとおっしゃるのであれば、知識として指揮者
: : の名前を100人言えるよりも、よい音に実際に触れる場所を持てた事の方がずっと
: : 大事なだと思います。サッカーのみならずクラッシックにもお詳しいのなら、ホールがどれくらい
: : 音に影響を及ぼすものか、よくご存知でしょう。厚生年金会館の音響の酷さもご存知ですよね?
: : (厚生年金会館で十分という発言がありましたので、ご存知と考えます。憶測発言ではないですよね?)
: : そういう場所を札幌が持てたという事を素直に喜んでも良いのではないでしょうか?
: 別に。年金は非常に評判悪かったぐらいかな。っていうか、実際にコンサートで聴いても良くはなかったですね。普通のフュージョンであれだから、クラシックなら大変でしょうね。
: でもさ、もしその音楽に触れたいって考えるのなら、媒体はキタラってとこに何故固執するんだろうか。サッカーに触れるのにコンサ、って言ってるのと一緒。本当に好きなら、CDだってあるし、音が悪かろうが年金でやればいい。少なくともサッカーならいいもの見たいと思ってる人は、スタジアムに行くのとあわせてスカパー入れてる。
: そもそも札幌でコンサートを採算度外視して開く必要はないですよ。好きなら東京まで聴きに来ればいい。それで耳を養って将来北海道のクラシック人口が増えれば、キタラはその時考えればいいんじゃないかな。それが本来の順序でしょう。わざわざ高いハコ作って文化都市の威厳を高める必要はないね。本当の文化都市なら、街角に沢山の自称音楽家があふれ出て演奏してるんじゃないですか。カフェではみんなが音楽のことを熱心に語ってるはず。僕は札幌市民でしたが、そんなことって見た事ないですね。
: そもそもの考えが違うのかな。僕の考える文化って形じゃないもん。ハコを崇めるものでもないし。ただハコ作って「文化都市」を名乗ろうとするメンタリティってちょっとついて行けないなぁ。文化都市を考えるなら、まずハコありきではなく、モデルとなる海外のケースって参考になると思うんですが。行かれたかどうか分かりませんが、好き嫌いはともかくマドリッドとパリはその点エネルギーに溢れてた。札幌を歩いていても・・・、残念ながらそれはない。まとまっていていい町ですけどね。
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: : キタラのオープンの日、ホールにはこの日が来た感動で泣いているお年寄りがたくさんいました。
: : あまり私達の街、札幌の民度をバカにするような発言ばかりなさるのは、やめて頂きたく思います。
: : サッカーの話ではなくて申し訳ありませんでした。
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: 別に馬鹿にしてなんかいません。現実を書いてるだけ。クラシックが分からなくても、それが人間の価値になんのハクになるんですか。そういう考えって、文化っていう言葉にとりつかれてるだけのような気がしますよ。
: 僕は、そのホールの良さをもっと理解してくれる人が出てきて欲しいと思いますね。今までって「お〜、立派なもの出来たなぁ」って、それに税金がナンボかかってるのか理解してない人が大勢いましたからね。これが民度ってものの現実です。まぁ、東京だって大して変わらないけど。
: 何十年後かに、音楽家の人口が札幌に大幅に増えて、バークレイみたいな音大が私立で出来て、道民の音楽的な貪欲さの受け皿になる。オペラは連日満員。ひそひそ声で「今日のソプラノはちょっとね」。次の日には目をぎらぎらさせて「コウライヤ」。ありえないですね。だからお金の無駄じゃない?って言ってるの。少なくとも今の時点では年金で十分なんじゃない?っていうだけ。年金で出るエコーにも我慢すればって言ってるんだよね。ピラミッドの頂点だけ作ってもしょうがないよ。
俺の考える限り、おそらくakiさんのおっしゃる「無駄な事」、「必要のないこと」にakiさんのいうところの「血税」はこれからも使われる事でしょう。
なぜならば、それらを「無駄ではない事」、「必要な物」と考える人間も存在するからです。
この相対する意見に明暗を分ける元になるのは「シンプルさ」、「機動力」だと俺なりに考えます。
あたりまえですが、無駄な事と考える否定的意見より必要な事と考えるほうの肯定的意見のほうが先に出ますよね。
その分否定的意見が優勢的になるには肯定的意見より、全ての面で労力が必要とされます。
生半可な事では否定的な意見が押し潰される事は消費税等の問題のときでおわかり頂けるとは思いますが・・・。
それとこれとは違う問題と捉えられるのは構いません。
ですが、考えてみてください。政治だって所詮は人間のやる事なんです。
それが無駄な事であろうとなかろうと要は行動力のあるひとの案ほど、実践されていく確立が高いという事を。
それに対して批判的な意見があってもそれが「かたち」としてたちふさがらない限りは、
批判は批判でおわってしまうのです。
もしakiさんが自身の意見は分かる人にだけ分かればいいと考えているようであれば、いずれは枯れていくことでしょう。
反対に本当にいろんな人に分かってもらいたいと思うのであれば大変な努力が必要でしょうね・・・。
最後にお断りしておきますが、「キタラ」については特に何もあるわけではありません。
そして「血税」は払っているが、関心がないという人間も存在するという事をお忘れなく。幼稚かもしれませんが、カラ出張等で経費を横領したり、無駄に人員のいる公務員の為に税金を使うなら、興味はないがそういったものに投資したほうがいいと考えてる人だっているはずです。