(前半略)
: ところで、クラーク博士というのは、銅像がたってるくらい尊敬されて
: いるようとおもいますが、聞くところによると彼は北海道を出たのが
: 「追い出された」という形になったとか・・。
前置き:
「クラーク博士の銅像」というのは、羊ヶ丘展望台に立っている銅像のことですね。
『 少年よ、札幌ドームを見よ! 』というポーズの・・(^^;
これは観光用に比較的最近に作られた物です。
他に、北大のキャンパス内に、花崗岩の台座の上に彼の胸像が乗っていて、
こちらも「クラーク像」と呼ばれて、観光客の記念撮影スポットになっています。
この胸像は戦時中に金属供出のため没収されましたが、戦後に有志の手によって
元の鋳型から再現されました。
本題:
もちろん、私は彼に会った事も無いし、書物に記されていることの受け売りですが、
クラーク博士はクリスチャンでしたし、ある意味で潔癖だったのかも知れません。
彼の影響を受けて洗礼を受けた学生がかなりいます・・「新渡戸 稲造」(五千円札)とか。
彼は礼儀も重んじました。「 Boys, be ambitious 」(本当は「 like this old man. 」と続く)は
たった一度言っただけなのによく知られている言葉ですが、他に「 Be gentleman ! 」(紳士たれ!)
という言葉を、日常よく使っていたようです。
医療用(消毒用)に持参したエチルアルコールを、学生がこっそり飲んで酔っ払って悪さをするので、
アルコールの瓶を全て割って捨てた、という逸話も残っています。
(北大生の悪態は今も受け継がれていて、JFLで優勝したら大通りの噴水に飛び込む・・)
彼を含む「お雇い外国人」は、当時の国民(や道民)の所得からは比較できないほどの
高給で雇われていたので、当時の政府から見れば不満もあったでしょうし、
主義や習慣の違いにも馴染まずに、軋轢があったのかも知れません。
ということなどから、まぁ一種の嫌気が差して、契約が続かなかったのでしょう。
米国へ帰国してからの彼は、色々な事業を試みましたが、あまりうまくいかず、
晩年は不遇のまま世を去ったようです。
: そういえばコンサの監督にも同じような例がなかったですかね。
: どうなんでしょう。
コンサの元監督はクラーク博士と「同じよう」だったとは思えないのと、人の悪口を言うのは
好まないし、契約の問題だけではないようなので、元監督の事情については触れません。
彼は時々札幌を訪れているようですが・・。