[ コンサドーレ札幌パブへ戻る ]

  • Subject: クラーク博士
  • From: リンダ
  • Date: 2000年5月01日 00:35:54
  • Reply-to: Re: 怒っています。 By スーパー銭湯

    (前半略)
    : ところで、クラーク博士というのは、銅像がたってるくらい尊敬されて
    : いるようとおもいますが、聞くところによると彼は北海道を出たのが
    : 「追い出された」という形になったとか・・。

    前置き:
    「クラーク博士の銅像」というのは、羊ヶ丘展望台に立っている銅像のことですね。
    『 少年よ、札幌ドームを見よ! 』というポーズの・・(^^;
    これは観光用に比較的最近に作られた物です。

    他に、北大のキャンパス内に、花崗岩の台座の上に彼の胸像が乗っていて、
    こちらも「クラーク像」と呼ばれて、観光客の記念撮影スポットになっています。
    この胸像は戦時中に金属供出のため没収されましたが、戦後に有志の手によって
    元の鋳型から再現されました。

    本題:
    もちろん、私は彼に会った事も無いし、書物に記されていることの受け売りですが、
    クラーク博士はクリスチャンでしたし、ある意味で潔癖だったのかも知れません。
    彼の影響を受けて洗礼を受けた学生がかなりいます・・「新渡戸 稲造」(五千円札)とか。
    彼は礼儀も重んじました。「 Boys, be ambitious 」(本当は「 like this old man. 」と続く)は
    たった一度言っただけなのによく知られている言葉ですが、他に「 Be gentleman ! 」(紳士たれ!)
    という言葉を、日常よく使っていたようです。

    医療用(消毒用)に持参したエチルアルコールを、学生がこっそり飲んで酔っ払って悪さをするので、
    アルコールの瓶を全て割って捨てた、という逸話も残っています。
    (北大生の悪態は今も受け継がれていて、JFLで優勝したら大通りの噴水に飛び込む・・)

    彼を含む「お雇い外国人」は、当時の国民(や道民)の所得からは比較できないほどの
    高給で雇われていたので、当時の政府から見れば不満もあったでしょうし、
    主義や習慣の違いにも馴染まずに、軋轢があったのかも知れません。
    ということなどから、まぁ一種の嫌気が差して、契約が続かなかったのでしょう。

    米国へ帰国してからの彼は、色々な事業を試みましたが、あまりうまくいかず、
    晩年は不遇のまま世を去ったようです。


    : そういえばコンサの監督にも同じような例がなかったですかね。
    : どうなんでしょう。

    コンサの元監督はクラーク博士と「同じよう」だったとは思えないのと、人の悪口を言うのは
    好まないし、契約の問題だけではないようなので、元監督の事情については触れません。
    彼は時々札幌を訪れているようですが・・。



  • Follow