あらかじめお断りしておきますが、私はあなたを言い負かそうとか、説得しようとは、全く思っていません。
ただ、あなたの発言を放置しておくことは黙認することであり、それは自分の良心にとって耐え難いことだったので、
私見を述べさせて頂く次第です。
(長くなってしまいました。お読み頂く皆様、どうかお許し下さい。)
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まず、根本的にあなたのレスは、私の疑問点への答えになっていません。
函館開催の経緯や意義、関係者の尽力、北海道のおかれる状況、コンサへの期待などについて、特に異論はありません。
恐らく選手たちだって、少しでも北海道の役に立つべく、自分たちのできること=全力で試合を戦い勝利することのために、
試合に臨んだことでしょう。
結果、コンサは無残に負けました。私だって嘆き、悲しみ、そして怒りました。
函館の皆さんの気持ちを察するに、余りあります。試合内容についても言いたいことはたくさんあります。
でも、負けたことはあなたのおっしゃるように、サポーターを馬鹿にしたことなのでしょうか?
そしてそれは、あなたに対してあやまらなければならないことなのでしょうか?
何をもって選手達を「あほたれ」と断ずるのでしょうか?
う〜ん、やっぱり馬鹿馬鹿しい。これでは単なる揚げ足とりのようです・・・が、しかし
選手を侮辱するこれらの発言を、私は見過ごせなかったのです。
ちなみに私だったら、以下のような行為をされたら馬鹿にされたと思うかもしれません。
(1)熱心な函館開催要望に対し、「札幌から遠いから」という理由で断られた。
(2)開催にこぎつけたが、選手がアウェイ続きで疲労しているため、主力選手を帯同せず休ませた。
(3)選手が「こんな遠くでやりたくねぇよなぁ」と、文句を言った。
つまり0−2で負けたくらいなら、怒りこそすれ「馬鹿にされた」とは思わないでしょう。
少なくとも無気力な試合をしていたようには、見えませんでしたし。
たくさんの人がそれぞれの境遇でコンサに想いを託し、一喜一憂していると思います。
あなたの怒りはわかりますが、ぶつけ方が間違っているのではないでしょうか。
汚い言葉でなければ表現できないことなら、こういう公共の場に感情的にカキコするのではなく、
仲間内でグチり合うだけにして下さい。はっきり言って不快です。
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: 4/23、函館戦では、一時間前から沿道に長蛇の列が出来てました。
: この日、雨と風が昨日から続いていましたが・・、1万人以上集まり
: ましたか。あれがコンサの選手の人気で集まったと貴方はお考え
: ですか。
: 結果として、ゴールシーンひとつ見せられない試合を1万人以上の
: 函館のファンに見せることになった選手たちを目当てに・・。
コンサの選手の人気だけで集まったかは、私にはわかりません。
理由は人それぞれでしょう。
: 「函館開催を必ず成功させますから!どうか・・・。」
: あの姿は、あそこにいた全員が今でも覚えているのではない
: ですかね。
: ですが、ここに集うコンサファンでない道民は、なにも言わない
: だけで、黙って見てるんですよ。どんな試合をコンサがするか。
: 函館のコンササポの願いと、有珠被災者への勇気を与えることが
: できるか期待して。
試合に負けてしまったら全てが失敗であり、願いが踏みにじられ、勇気を与えることができず、
結果、選手がサポーターを馬鹿にしたことになってしまうのでしょうか?
はっきりと言っておきたいのですが、我々が応援しているコンサドーレはサッカークラブであり、やっているのはサッカーの試合であり、
サッカーの試合には勝ち負けがつきものです。必ず勝つとは限りません。
そういうものに「願い」やら「勇気」やらを勝手に託しておいて、100%いい結果がでることを期待しているのならそれは間違いであり、
あげく理由も定かでなく「あほたれ」呼ばわりされては、チームもいい迷惑であると、私は思います。
コンサドーレは、「道民の希望の星」たりえる存在だとは思いますが、なんでもかなえてくれる「ドラえもん」ではありません。
応援している側の一方的なわがままは厳に慎まなければならないと、私は思っているのです。
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: 認識が違うのでしょうが、「負けていい試合」はあるのが当然。
: 私は、そう思ってますが・・。選手や、監督はいつも全力でやってる
: と言うでしょうが・・・。
議論の本筋とは直接関係ありませんが、プロの有料試合に関して言えば、私はこう思っています。
「手の抜き方」とやらを考慮したとしても、「負けたり引き分けたりしても、大勢に影響を与えない試合」はあっても、
「負けていい試合」など決してない、と。
プロ野球を伝えるマスコミにしばしば登場する「消化試合」という言葉が、私は大嫌いです。
もし入場料を取ってファンに試合を見せ、その金で成り立っている組織が(どういうやり方で試合に臨むとしても)
「負けていい」という意識で試合をするならば、そのことこそがあなたの言う「サポを馬鹿にする」行為なのではないのでしょうか?
観客の多くは「選手が勝つために戦い、結果、勝つこと」を期待して、応援しているはずです。
しかしあなたは函館でのコンサの敗戦に対し、「馬鹿にするのもほどほどにせえ」と言っておきながら、
一方で「負けていい試合があるのは当然」と言い放つ。
私には矛盾しているように感じます。だから前提が間違っていると言ったのです。
「負けていい試合」か、「そうでない試合」なのか判断するのは、誰ですか?
「馬鹿にしている」と判断するのは、誰なのですか?
選手や監督がある試合に対して「負けていい」と(陰で)考え、その通り負けたときに、
それを見ていた1人のサポーターが「馬鹿にしている」と判断したら、
あなたのような意見の持ち主がどちらの肩を持つのか、私には想像もつきません。
ま、認識が違うのなら、それだけのお話ですけどね。
以上、長文大変失礼致しました。