「不快感を文章に反映させることは本質の一部」とは…。
以下の3点から、意図的に不快感を投稿にのせるべきではないと思いますが。
まず、論者の感情などは議論の本質とは関係ありません。
河内さんからみて薄っぺらな理屈をこねる人には、まともな論理で反論すればそれで済む
わけで、何も河内さんの不快感まで文章に反映させる必要はどこにもないでしょう。
おっしゃるように意図せずとも文面からにじみ出てしまうことはあり得ますが、少なくと
も積極的に表現する必要などどこにもない。
『必要性がない』、これが一点目。
批判者を批判するだけの投稿など意味がないというのはおっしゃるとおりですが、言わせ
てもらえば、投稿に含まれる不快感を表現するための文字列なんぞも全く同レベルです。
五十歩百歩。目くそ鼻くそを不快に思う。です。
でも、それだけならまだいい。
なにより問題なのは、河内さんの表現する不快感が、河内さんを不快にさせる投稿の呼び
水になってしまい、負の連鎖が発生していることです。
必要性がないだけでなく『あると良くないことが起こる』、これが二点目。
ご自分でも認識されているのでしょう?
他人に「批判のみの投稿をせずに、内容に反論しろ」と要求するのなら、もう少しそうし
やすい元投稿にしたらいかがですか。
それが河内さん自身が不快になる可能性を減らす、河内さんのできる最善の(最も高い効果
が期待できる)方法ではありませんか?
これが三点目です。
もちろん自分は現状のまま何も変えず他人に期待するのもいいですけど、期待どおりにな
らないからといって「不快だ、不快だ」と文句を言ってもしょうがないでしょう。
# 「俺様はオマエの投稿で不愉快になったぞ!!」
# 「いや、オマエが俺様を不快にするような投稿をしたからそれを表現したまでだ。
# オマエこそ俺様が不愉快になるような投稿をするな!!」
# 「いや、最初にオマエが」「いや、そもそもオマエこそ」…(以下死ぬまで続く)
# では、もう、ホント、なんとも救いようがないトホホな状態ではありませんか。
頭の良い河内さんが何故そうしないのか常々疑問に思っているわけです。
# 私なりに考えて出た合理的な説明が「ワザと紛糾した議論を楽しんでいる」というもの
# だったのですが、そうではないということですので、どうやら邪推だったようです。
# これについては失礼なことを書いてしまい、大変申し訳ありません。
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以下蛇足ですが…。
正論を論じているからといって不快感や挑発をその投稿に含めてもよいということはあり
ませんし、当然、それに対する感情的反発を批判する権利もありません。
(本当は権利はあるのでしょうけれど、なにしろ説得力ゼロだから無いも同然でしょう)
また、誰かが感情的なフォローを投稿したからといって、今度は自分が感情的な表現をし
てもよいということもありません。
掲示板のようなメディアでは、感情的表現の免罪符などないのです。
利用者個人がそうした意識を持たなければ、“議論”が“不快感表明のみの投稿と不快感
表明を含む議論と一部の本当の議論→あぁ読むのが辛い”に成り下がってしまします。
だから、同じ掲示板の利用者として“開き直り”だけはして欲しくない。
もちろん、単なる個人的願望ですけど。
基本的に他人様の投稿スタイルに意見するようなマネはしない主義ですが、パブ廃止論な
どがちらほらと出てきているので、これを機会に僭越ながら意見させていただきました。
最後に、私は河内さんの投稿に含まれる“耳の痛い”意見の存在を歓迎しています。
また、その阿修羅のごとき活躍ぶりにもある意味敬服しておりますが、あまりにもバッタ
バッタと容赦なく斬り殺していくので、そのうちパブの投稿者が全員死滅してしまうので
はないかと危惧しております。(本当)
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