コンサドーレヒストリー1-コンサドーレ誕生

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コンサドーレ誕生

札幌市民30万人の署名がすべての始まり

 バブルの終り、日本全国がまだJリーグブームの真っ只中にあった頃、北の都、札幌は蚊帳の外にあった。確かに、Jリーグの試合は、年に数試合開催されてはいたが、それはあくまで“サッカーを観戦する”という類のもので、それまでテレビで見ていたサッカーと、生と画面を通しての違いがあれこそ、なんら変わるものではなかった。
 “おらが街のサッカーチームが欲しい”、“おらが街のクラブを応援したい”、そんな声が、札幌の街の片隅で、ふつふつとわき上がるのに、それほどの時間はかからなかった。そんな時、94年に札幌青年会議所がJリーグ誘致を目指し“札幌にJリーグチームを”と行った署名に集まった数は31万人。札幌市民のおよそ6分の1の署名が集まったことになる。この31万という数は、98年末に悲劇に見舞われた横浜フリエ存続のために全国から集まった“最初の”署名の数とほぼ同数で(フリエ署名には最終的には60万人分ほど集まった)、当時の札幌市民のサッカーに対する認知度から考えると、すごい数の署名が集まったことになる。
 この署名を受けて、95年には誘致組織として「札幌SJクラブ」が発足、その後、地道な活動を続けていくことになる。

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チームの誘致か新チーム結成か

 Jリーグチームを札幌に作ろうとしたグループが最初に直面した問題は、クラブ自体をどの様にして調達するかであった。既にあるチームを母体にするのか、あるいは誘致するのか、それとも新チームを結成するのか。多くのJリーグチームのように既にあるチームを母体にするのか、あるいは、福岡や鳥栖のように誘致するのか、それとも、清水のように新チームを結成するのか、それが問題であった。現実の現場でどの様に話が進んだのかはわからないが、噂になっていたのは、まず、地域リーグである北海道リーグに所属していた『北電』を母体にする案、そして、当時Jリーグの二部リーグに位置づけられていたJFLに所属するチームを誘致する案など。既存のチームを誘致するのがJへの一番の近道という判断があった様で、その後JFLのチームを誘致する方向へ話が進んでいくことになる。この時、実際、誘致に動いていたグループは複数存在していたようで、東芝の他にJFLのチームのいくつかが候補に挙がっていた。そして最終的に、東芝が来ることが決まった。当時の東芝はリストラの一環としてサッカー部を廃部する方向で動いており、クラブ誘致を求める札幌側との思惑が一致した。

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てんやわんやの北海道フットボールクラブ事務局

 東芝の札幌移転が決ったものの、それをとりまとめる事務局はてんやわんやの状態がつづく。移転が決まってから、JFLシーズン開幕まで、わずかな数カ月しかなく、クラブをサポートする株主やスポンサー探し、クラブの強化、練習場やホームスタジアムの確保、さらに北国であるがゆえの雪対策もやらなければならないなど、仕事は想像以上に多かった。数少ないスタッフやボランティアで手伝う人達は、それこそ寝る間を惜しみ駆けずり回った。そしてこの急がしさに輪を掛けたのが、準会員申請の時期が早まったこと。当初、HFCは、最初の年はチーム作り、2年目に2位以内に入り、3年目のJ昇格を目指すと発表していた。これは、J昇格に先立ち必要な準会員申請の時期が、毎年秋の時期で、翌年にならないと認められなかったからである。ところが、この年からルールが変更になり、春にも申請が出せるようになった。これが通ると、その年のうちに準会員として認められ、2位以内に入れれば来年J昇格ということになる。札幌にとっては、瓢箪から駒のラッキーな規則変更であったが、このルール変更が明らかになったのが2月。しかも申請締切は4月中旬。このための準備がスタッフの忙しさに輪をかけた。

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そしてコンサドーレ札幌誕生

 てんやわんやの準備事務局であったが、サポーターはそんなことを知ることもなく、シーズン開幕に向けて期待を膨らませていた。クラブ設立に向けての仕事も着々と進み、東芝サッカー部の受け入れ法人の名前は北海道フットボールクラブ。北海道ならではの、ホームアイランドという言葉がある様に、北海道全体をホームタウンにしたいという願いも込めてこの名称がつけられた。そして、クラブ名が一般公募の中からコンサドーレ札幌に決定。北海道の人を意味する道産子に由来する北海道ならではのクラブ名が生まれた。
 今でこそ、特例でクラブ名を都市単位でなくても認められるようになったが、当時はクラブ名は都市(町村)名というのが厳密に守られていたようで、運営会社の名前には北海道とついていても、クラブ名は札幌となった。そして、てんやわんやだった事務局もなんとか仕事をこなし、ついにコンサドーレ札幌が誕生した。1996年のことである。

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