A Talent Goes to North(石塚啓次物語)
(これは筆者・渡辺が去る8月15日に「コンサドーレ札幌メーリングリスト」に配信した2本の記事を加筆・編集し直したものです)
「あの」石塚がコンサドーレにやってきた! こりゃ一大事だ!
僕を「コンサドーレの道」に引き摺りこんでくれた千歳在住の友人夫妻は狂喜乱舞の大喜び。このご夫妻、石塚のような「ビッグマウス」が大好きで、後述する爆弾発言以来彼の虜(?)になり、今回の移籍を機に「毎日栗山行く!(現実にはムリだが…)」などと言い出す始末。
そんな人もいる一方で、大方のコンサ・サポーターは戦々恐々(?)。「何のために?」「どこ(のポジション)に使うの?」「チームのムードになじむの?」などなど。
まるで珍獣が動物園にやってきたかのようなちょっとした「パニック」を引き起こしてくれた石塚選手。その実体は如何なるものなのか? 当HPで関東周辺の観戦記を書かせていただいているワタクシ・「横浜のニセ道産子」こと渡辺が、とくと解説してさしあげましょう。…みなさんよりもほんの少しだけ知っている程度なのですがね(笑)。
まずは今回の移籍にあたってHFCからリリースされた公式データを紹介しましょう。
- 氏 名:石塚 啓次(いしづか けいじ)
- 生年月日 :1974年8月26日(22歳)
- ポジション:MF
- 血 液 型:AB型
- 身 長:184cm
- 体 重:77kg
- 出 身 地:京都府
- 家 族:父、母、姉、兄
- 選 手 歴:
- 山城高校サッカー部
- 1993年 ヴェルディ川崎 入団 1試合出場
- 1994年 11試合出場 2得点
- 1995年 17試合出場
- 1996年 3試合出場 1得点
- 1997年 ヤマザキナビスコカップ5試合出場 1得点
京都・山城高校3年時は93年正月の高校選手権で準優勝(優勝は確か国見)。しかしこのときの石塚はケガをしていて決勝戦まで出られなかったのですよね。アナウンサーも解説者も「石塚はいつ出てくるのか!」と、注目しきり。こたつでTV見ていた僕も「そんなにスゴい選手なのか?」と期待していたら、実際決勝戦の途中から出てきたときにゃ、口にしていたみかんを吹き出すほど驚きました! 「山城のフリット」との異名そのままのドレッドヘア!(後日知ったところによると指輪までしていたとか)次に驚いたのがその名に違わぬテクニック。活躍した時間はわずか22分間と短かったものの、既にヴェルディへの入団が決まっていることが頷けるようなプレーでした。
- #フリット/主にACミランで活躍したオランダの選手。長身で自ら決定力もあるFW・攻撃的MFで、日本にもトヨタカップで来日しファンも多い。現在はイングランドのチェルシーで監督兼選手。名前の発音が難しく、より正確には「フ」と「グ」の中間の音とか。
Jリーグの発足を目前に控え「一番強そうだったから」という理由でヴェルディを選んだ石塚。彼をスカウトした小見強化部長は「ヨミウリ生え抜きの選手はみんな『オレたちはうまいんだぜ』と思っている。が『ホレ、京都にもこんなにうまい奴がいるんだぞ』という刺激を与えたかった」と述懐しています。もちろんそれだけではないでしょうが。
早速若手中心のイタリア遠征に選ばれるなどしましたが、サテライト開幕直後に負傷。復帰しても当時のヴェルディのトップチームの中盤といえば、他チームも羨むほどの人材の宝庫。先日復帰が決まったラモスを筆頭に、北澤、永井、柱谷、戸塚、菊原、途中からビスマルク…(あのペレイラも一時は中盤で起用されていた!)。石塚の入り込む隙間はありませんでした。しかしサテライトではアモローゾ(後述)、関(現ベルマーレ平塚)らとともに優勝に貢献。自身も「この頃が一番楽しかった」そうです。
- #アモローゾ/石塚1年目にヴェルディのサテライトに在籍していたブラジル人選手。目を見張る能力を持った中盤もこなせる若手FWで、サテライト初代得点王(J発足前のファームリーグでも得点王になっている)だったが、外国人枠の関係でトップには上がれず翌年帰国。そこで花開き、アトランタへ向けたブラジル五輪代表の最初の10番を背負った。後に怪我のため代表から外れ10番もジュニーニョのものになったが、イタリアのクラブへ誘われ、今季も確かヨーロッパで活躍しているはず。ここだけの話だが当時の彼は日本もヴェルディも気に入っていて「帰化してもいい」とまで言っていたのだ!
2年目も怪我からのスタート。春先のヴェルディのアジア・クラブ選手権のバンコク遠征、後に「マイアミの奇跡」を起こすこととなるアトランタ五輪候補の最初の合宿ともに辞退(後に石塚本人は「これでもう招ばれない」と思ったそうです。実際招ばれていません)。
出遅れた94年。しかし秋。カズのイタリア・ジェノア移籍による前線のコマ補充ということで、ようやくチャンスが巡ってきました。11月9日。ニコスシリーズ第19節。ガンバ大阪との一戦で背番号11を背にFWとしてJ初先発を果たし、鋭いパス回しで同点のPKを誘うプレーを演出し、自ら勝ち越しとなるゴールを決め(ついでに警告ももらい)マン・オブ・ザ・マッチに。その後のインタビューで今や「伝説」となった発言が飛び出します。
「(ヴェルディが)優勝したかったら僕を試合に出すことですね」
より正確には「僕を出せば優勝できます」と語ったらしいのですが、こういうモノは尾ひれ背ひれが付くもの。たちまちサッカー雀たちの好餌となった石塚ですが、チームは首尾よくニコス優勝。サンフレとのチャンピオンシップでも2試合とも途中出場しました。
この頃、登録はMFでしたが起用は「やや下がり目のFW」的なものが多く、とにかく「点にからんでナンボ」の役目を担っていたわけです。
時、まだ20歳になったばかり。順風満帆に来ていた石塚のキャリアに、その後これといった輝きが見えなくなってしまいました。
その素質は誰もが認めるところ。あの「ドーハの悲劇」の直後、全国でたぶん10万人はやったと思われる「4年後の日本代表」私的セレクションでも、僕は石塚に7番を与えていました。ちなみに10番は永井秀樹、11番は…何を隠そう新村だったんです。
それは「プロ」も同様で、「悲劇」からわずか2ヶ月後の「サッカーマガジン」で特集された「フランス98予想イレブン」では、FW小倉(名古屋グラ8)、MF藤田(当時筑波大・現ジュビロ磐田)らとともに、石塚は右ハーフに選出されているのです。その1年半後の「Number」の同様企画でも前U-20監督田中孝司氏より「うまいよね。チーム戦術に溶け込めるかという問題があるが、ゲームのリズムを変えたいときに必要なのかなと思う」と好評価を得ています。更に前述の通りアトランタ五輪候補にも一度は名を連ねていたのです。
そんな風に毎年毎年「今年こそブレイク」と期待され、日本を代表する選手への成長も嘱望されていた彼が伸び悩んでしまっている(ように見える)のはなぜでしょう?
昨年はレオンの監督就任でチーム自体が「中盤のテクニシャン不要」のスタイルになったために同情すべき点もあるのかもしれませんが、僕の私見ではフィジカル・コンタクトに弱いと思います。小さな怪我をしやすく、それが尾を引く体質なのではとも推察されます。それを本人も自覚していて「あと一歩」の勝負ができなくなっているのではないでしょうか。間合いを詰められただけで慌ててしまう様子も時折り伺えます。スペースと時間がある局面での彼のテクニックは掛け値なしに一級品だと思います。このあたりは最初に彼を指導した松木安太郎氏も認めていて、厳しいマークが付くと自分本来の持ち味を忘れてしまうそうです。そのあたりを昨年短期留学したブラジルの2部チーム・マモレでどの程度克服してきたか。「10番」を背負って登場した今年春のナビスコ・カップが注目されました。
実際に僕も3/22の等々力での「ヴェルディ-コンサ」を見ました。「上手い」「怖い」「放っておくと何するかわかんない」という印象を受けたものの、かつてみっちり「ケイコ」を付けてもらっていたペレイラに徐々に動きを封じられ、イライラが募ったのか後半33分に2度目の警告で退場(たぶん審判への暴言と故意のハンドで2つだったと記憶しています。その後一旦はコンサドーレが逆転したんですよね)。
J開幕後も迷走するチームを象徴するかのように石塚のプレーにも冴えがなく、使われたり使われなかったりし始め、ついにはベンチにもその姿が見られなくなりました。そんな頃、これまでの様々な情報を総合すると、ヴェルディにおいて当面出番のない選手へ同じ等々力をホームとする川崎フロンターレが触手を伸ばし、最終的に長谷部のレンタルが決まります。石塚も狙っていたようなのですが、彼の能力を絶賛していたフェルナンデス監督が強く獲得を求め、コンサへの来年1月末までのレンタルが決まった…ようです。
さて、コンサドーレ移籍後の石塚ですが、背番号はどうやら31。さっそく練習試合にも登場とのこと。一部で話題となった長髪もひげもサッパリとしていたとの情報もあり、まずはひと安心。かつて同じ釜のメシを食ったメンツもペレイラ、村田、冨樫と多く、チームの雰囲気そのものに慣れるのには、さほど時間はかからないでしょう。
使われかたとしてはやはりウーゴのバックアップ、もしくはオプションとしてのバルデス1トップの際の2列目、さらにはバルデスとの2トップの一角…といった、攻撃力重視の起用法が考えられます。ただ、守備はほとんどやりませんから、その分彼らの後ろの選手の負担は増大すると思います。(でも自分が取られたボールは取り返しに行く!) その一方できちんと彼をサポートできるような動きを取れれば、ピッチの上で光輝くでしょう。このあたりはかつての同僚&「スパーリングの先生」だったペレイラがいますから、彼の長所・短所をきちんと監督・スタッフやチームメイトに伝えているものと思われます。
あと…彼はパス出しのセンスも優れていますが、僕が感心して見ていたのはタマを止める技術です。これ、なかなか日本人にはない点でして、ワンタッチでボールを自分のものにできるのですね。だから次のプレーへの移行が早いです。そんな時に彼のボールを受けられるスペースにFWが走り込んだりすると、「ゴールの匂い」プンプンとなるわけです。
彼の言葉を借りれば「サッカーは直感」だそうです。2年ほど前のインタビューでは「オレをどんどん(試合の中で)使ってほしい」「ポジションはストッパー以外ならどこでもいい」と語り、自分自身への課題も「精神面とシュート力かな」と言っています。更に「オレはまだまだヘタだ。もっと上手くなりたい」という言葉からは、彼自身の「プロ」のあり方さえうかがう事ができます。
その言動や個性といったサッカーそのもの以外の話題が先行してしまった(その一端は僕のような「オタク」派にも責任はありますが…)石塚ですが、J昇格に向けてシビアな戦いが予想されるJFL後期。特にコンサドーレはナビスコもありますし、日程的にも他チームよりタイトです。活躍の場はたくさん用意されています。
彼が「コンサ・ファミリー」の一員として、今度こそ持てる実力をいかんなく発揮してくれるよう、みんなで盛り上げていきましょう。
(以上記事:横浜の渡辺さん)